きっかけ

題:カノン


「中易…さん?」

授業が終わって帰ろうとすると名前を呼ばれた。

振り向くと、そこには同級生の先名優が苦虫を噛み潰したような顔をして立っていた。

「…ん?」

別にそれほど仲がいい訳でもないこの人に呼び止められる理由が見つからない。

そして今は誰とも話したくなんかなかった。

「…大丈夫?」

控えめだが、一言で本質を突いてきた。

さっきの授業で、同級生と比較されて恥を晒したことだろう。

大丈夫なもんか。

何が悲しくて皆の前でクラスで1,2を争う秀才と比べられた挙句に嗤われなければならなかったのか。

まるで無能だと言わんばかりに嗤うあいつらの顔が瞼に焼き付いて離れないのだ。

「大丈夫だよ」

踏み込まないで欲しい。

これが私の性格も何もかも知ってるような友人や恋人ならまだしも、先名とは知り合って間もないただの同級生だ。

それも、あの時目の前にいた人間だ。

これ以上弱みを見せたくなくて、笑顔を貼り付けた。

笑顔で、大丈夫と言えば大体の人は下がる。

先名も例外ではないと思っていた。

「嘘」

ピシャリと跳ね除けられた。

その目はさっきまでと違って、真っ直ぐ私を見ていた。

「…時間、ある?」

予定もなかった私は、その目から逃げることが出来なかった。

 

 *

 

踏み込まれたくないんだから適当に理由をつけて帰ればよかったのに、言われるがままついてきてしまった。

暖かくなってきたこの時期だと公園のベンチに座っていてもそこまで辛くない。

「はいこれ」

「あ、ありがとうございます…」

差し出されたのは缶コーヒー。

飲めないけど、折角貰ったものだから飲まないのも申し訳ない。

「それで、さっきのことなんだけど」

隣に座った先名が缶コーヒーを飲みながら話しだす。

「あの時先生が話題にした人…只石って俺と同じ学校だったんだよね」

だからなんだろう。

と言うよりも大して話したことのない私に何を言いたいんだろう。

「高校の時もあんな感じでかなり頭良くてさ」

言葉に詰まってるのか、一文一文を紡ぐのに時間がかかっている。

その間が厭に長く感じた。

「煽ったみたいになってたんだけど…そういう性格っつーかなんつーか…」

比較して晒し上げたのは先生の方だけど。

それに只石はみたい、じゃなくて露骨に煽ってきていたよ。

「そういう性格だから仕方ないとでも言いたいの?」

思わず口をついて出た言葉は、まるで八つ当たりだった。

しまったと思いつつ、抑え込んでいた分が溢れ出て止まらない。

「私は、恥を晒したいわけでも煽られたいわけでもないんだけど」

先名は驚いた顔をしつつも何も言わずに私の八つ当たりを受け止めていた。

「対して仲良くもなけりゃ知りもしない同級生達に嗤われて、そう簡単に割り切れる性格じゃないの」

缶コーヒーを持つ手に力が入る。

「…うん」

感情が昂って今にも泣き出しそうな私の背中をゆっくりとさする。

温かくて、優しい手だった。

「…なんかさ、あれだと中易さんを貶してるみたいで俺も気分悪くてさ」

だから声掛けた、と小さく呟いた。

見てて気分が悪くなるようなことはあっても、後々声を掛けるものなんだろうか。

「それに、中易さんってなんか放っておけない感じがするからさ」

そう言って笑った先名の顔は少し赤くて、照れてるんだと分かった。

ほぼ初対面なのに、ここまで優しくされると勘違いしてしまいそうだ。

「俺で良かったらさっきみたいに八つ当たりでもなんでもして」

携帯を取り出して、連絡先を交換する。

先名優。

名前の通り、優しい人だなぁ。

「なんでここまでしてくれるの?」

「えっ、あー…」

今まで以上に長い沈黙。

先名は結構言葉に詰まりやすいタイプなのだろうか。

「まあなんでもいいじゃん?」

あ、はぐらかした。