題:人間不信のふりをしながら、それでも信じてみたくなる
「おはよ」
「…おはよう」
先週まで挨拶してこなかったやつが突然挨拶をするようになった。
先名優。
前の席だけど最低限しか会話をしたことが無かった。
それがなんでいきなり…と思わなくもないが、きっかけはなんとなくわかる。
先週末に連絡先を交換したからだろう。
あれからちょくちょく連絡来るし、まぁ距離が近くなったということだろう。
同級生Aから中易知心にアップデートされたと思っておく。
「どうしたの?」
笑顔を貼り付けて問いかける。
そんな、何か言いたげな顔をされても困るんだ。
人の顔色を伺って先回りして気を遣うのはもう辞めようと思っていても辞められない。
だからそんな顔をしないで欲しい。
「あーいや…大丈夫かなって」
「大丈夫も何も、まだ授業始まってすらいないよ」
先週のことなら忘れたいから掘り返さないでくれと心の中で願った。
週末を挟んだことでクラスの空気はもう、無かったことになっているんだから。
このまま私の中でも無かったことにしたいんだ。
「…それもそうか」
貼り付けた笑顔をすぐに見抜いてくる男だから、私の返事をどう受け取ったのかは分からなった。
ただ、それ以上何かを言ってくる訳でもなく会話が終わったので詮索はしない。
先週は八つ当たりをしてしまったけど、同級生とは一線を引いておくに限る。
これ以上失態を晒す訳にはいかない。
昔みたいな思いは二度としたくないんだ。
*
こういう時に限って嫌なことは起きる訳で。
「…大丈夫?」
「平気だよ」
嘘だけど。
わざとじゃないとは言え、顔面に辞書を当てられて何も思わないと思うなよ。
遊びの延長で辞書を投げるなという当たり前の感想はこの際どうでもいいが、問題は鼻血だ。
そんな漫画みたいなこと起きるんだって笑うのは無事を確認してからだと思う。
「というかなんで先名はここにいるの」
「自習になったから」
どうやら投げた本人はお説教中らしい。
ぶつけられてから教室に戻っていないのでどうなってるかは知らなかった。
今回ばかりは流石に担任も心配していたと思う。
腹の中で何を考えてたから知らんが。
「それに先生の許可は取ってあるから」
「…そう」
そう言われると食い下がるしかない。
担任も色々と雑な気がするけど。
部外者の生徒は自習させとけよ…。
「飲み物買ってくるよ。コーヒーでいい?」
「お茶がいい。コーヒー好きじゃないんで…」
そう言うと先名の動きが止まった。
驚いたような顔でこちらを見ている。
「なんすか…」
「いや、先週コーヒーあげちゃったから…」
そういえばそんなこともあったな。
あれは確かバイト先に置いてたら店長がもらっていったはずだけど。
「あぁ…別に気にしないんだけど…」
「そう?とりあえずお茶買ってくる」
少し申し訳なさそうな顔をしながら出て行った。
「はー…」
先名が何を考えているのか分からない。
私に構っても何も利が無いと思うんだけどなぁ。
「わっかんね…」
考えるだけ無駄だろうか。
どうにも先名相手だと気が緩むと言うか、いらんことまで話してしまいそうだ。
「あとでお金は渡さなきゃ…」
先名の優しさがじわじわと心に染み込んでくる。
失うことが怖いから手に入れようとも思わなかったもの。
少しだけ、信じてみたいと思った。