題:鋏
「あ、ほつれてる」
「もー、これ終わったら切ろう」
集中力が切れかけている。
自分で請け負った仕事。
作業自体は単純で、手書きの文章をパソコンで打ち直すだけ。
…まぁ、走り書きの部分も多く、読むのが大変なのだが。
たまに小休憩を挟んでも、集中力はそう長く続かない。
「随分と大きい独り言をどうも」
くすくすと笑いながらお気に入りのマグカップを差し出してくる。
ありがと、と軽く礼を言って受け取ると、甘いココアの匂いが鼻腔をくすぐった。
なんでこうも眠くなる時に眠れそうなものを渡してくるのだろうか。
きっと何も考えていないだろう表情を見ながらそんなことを考える。
「手伝おうか?」
「自分で撒いた種だし自分でなんとかしますー」
実際、断ろうと思えば断ることは出来た。
…その場合、終わるのが遅れて怒られるのだろうが。
別に手伝ってもらってもいい。
けど、自分自身の限界を見誤ったのは自分で、自分の失敗を他人に拭ってもらうのは嫌だった。
「はいはい」
子供をあやす様に笑いながら横に座る。
作業が終わった資料を眺めながら飲み物を飲む。
そんなちょっとした動作が妙に似合わなくて笑いそうになった。
それを悟られたくなくて、目の前の作業に向き直った。
*
「あー…」
時計を見ると1時間くらい経っていた。
それでも残ってた分の半分も消化出来ていない。
他にもやらなきゃいけないものがあるので、さっさと終わらせたかった。
集中して気づかなかったが、優も席を外していた。
「自分で受けたけど頼む量多すぎるよ…」
1人でやる量ではない気もする。
「糸切っちゃお…」
ほつれた糸を切った鋏をぼぉっと眺めていた。
今回のことは断れない自分に非があることはわかっていたが。
もしかしたら都合よく押し付けられただけなのではないかと思った。
「縁もこのくらい簡単に切れたらいいのに」
集中力も切れて疲れていた。
「そんな簡単に切れちゃダメなものだから」
頭上から声がした。
上を見ると少し困ったように笑いながら私を見下ろす優がいた。
「いい縁切れたら勿体ないよ」
そう加えて横に座り直す。
まだ何も言っていないのにパソコンを付け始めた。
「手伝うよ」
「あ、ありがとう…?」
自分でもビックリするくらい中途半端に受け入れた。
「なんで疑問形なの」
クスクスと笑いながら半分の量を持っていく。
そんなに負担してもらうつもりはなかったのだけど。
「気にしないで」
私の言いたいことを悟ったのか一言呟いた。
「ほつれた糸みたいに簡単に切れて終わっちゃうのは寂しいから」
仕事とは関係なさそうな内容で僅かに聞こえた独り言。
その声は今にも消えてしまいそうだった。